【人生を俯瞰】手書きの日記を10年以上続けた結果。

雑記

こんにちは、ヨヘです!

手書きの日記をつけはじめて10年以上になりました。特に目的があるわけでもないですが、気づいたら習慣になっていました。

寝る前についYoutubeやインスタグラムのリール動画を見てしまう習慣ありますよね。ある話によると、夜ふかしをする人は基本的に一日に満足できず、それを取り戻すためにダラダラと時間を浪費してしまうそうですが、一日に満足したところでさらに面白いものを見てから眠りにつきたいものです。

目が冴えて眠れないときに一日を整理するために手書きの日記は有効なのではないかと思い、10年以上日記をつけてきて思ったことを書いてみます。

真意はわかりませんが、とある友人が「日記なんて書く意味あるのかな?」と口にしていたのを覚えています。その人に日記をつけていることは話したことはないのですが、確かに日記なんか書いてなんになるんだろう。と自問自答しました。

感情を言語化すること

人に揉まれ、感情が明快にならないこともありますよね。ハッキリさせない方がよいこともありますが、SNSに愚痴を書きたくなるように、ネガティブな感情を言語化させて整理していくことはやはりストレス軽減に効果的なのではないかと思います。

ネガティブな感情は認知の歪み(物事の受け取り方や解釈に生じるズレ)が原因であることも多く、定期的に言語化することで気持ちの変化が文章に表れてくることもあります。必死で思い悩んだことも、あとになって読み返すと杞憂だったと思えることも多いのです。

ポジティブな経験は写真を撮るようにいつまでも記録しておきたいものですから積極的に書いていきましょう。

読み返して人生を俯瞰する

古文でおなじみの紀貫之の『土佐日記』は貫之がかなり高齢になってから書かれたものだと言われています。日記は回想録としての役割を果たしていました。

書いたその日には物事や気持ちの整理を行なって、あとから読み返したときに当時と現在を比較して、その差から学べることも多いのです。

実際に私が高校時代に書いた日記を読み返すと、何一つ成長していないことがわかります。というのは冗談で、成長していない部分と成長している部分があって、努力の取捨選択を判断する際に「本当にできないこと」は諦め、成功体験を思い出すことは今挑戦しようとしている課題の期待値を高めることにも繋がりますよね。

出来事をただ書くだけではなく価値観や考えごとなども積極的に書くことで、長い間自分が貫いている芯みたいなものもハッキリしてくるのです。

漢字を手書きで書く機会

昨今の著しいデジタル化で日常的に文字を書く機会は減りました。公式的な書類もオンライン上で済むようになってきています。手帳を持つ人も減ってきているようで仕事によってはペンを持たない日もあるのではないでしょうか。

手書きで書くことの脳への効果などは詳しくわかりませんが、PCやスマートフォンでは容易に推敲できるのに対して一字一字考えながら文章を書くことは確実に脳トレになっていると思います。

書き間違えた部分に斜線を引いてもよいのですが、助詞や接続詞の間違いは基本的には訂正せずに後の文章によって調整するようにすると、文章を考え直すきっかけになります。

また、手元にポケット漢字辞書を置いておき、できるだけ漢字で書けるようにすると漢字忘れ防止にも役に立つのではないかと思います。

三日坊主なら四日目に書けばいい

実は毎日欠かさず続けているわけではなくて三日坊主や一週間坊主くらいならザラにあります。毎日書くことが山ほどあるわけでもないですからね。

特に印象的な出来事があった日はB5ノートの1〜2ページ埋めることもかなりあります。

部屋を暗くして白熱灯の下でツバメノートと万年筆で書いているときが癒しの時間となっているのだと思います。

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