ご先祖が”わかる”ということの現代的価値

歴史

みなさん、自分のご先祖についてどれくらい知っていますか?

「おじいちゃんが源氏と言っていた」「うちは佐藤だから藤原かな」などと色々あると思います。

私がご先祖について調べはじめたのは大学2年生の頃でした。

父方の実家で曾祖父についての話を聞いて、当時見ていたNHK大河『西郷どん』の人物と何か関わりがあるのではないか?と疑問を抱いたところからはじまり、気づけば戦国後期まで遡ることができました。

通説では源氏の子孫ということになりますが、源平で確実に遡れる家はあまり多くはないのです。

私のご先祖は武士ではありましたが国会図書館デジタルコレクションで検索してやっと見つかる程度で何か大きなことを成し遂げたわけではありません。とはいっても武士であることは誇り以外の何物でもなく、それを知った日から先祖への敬意とともに自分を律するような気持ちが芽生えたのです。

祖父に先祖のことを聞いてみよう。過去帳で見た人物について、親戚から聞いた情報について調べてみようと思わなかったとしたら、私はこんなことを感じることもなく生きていたことでしょう。

しかし、武士の子孫は腐るほどいます。明治期の人口が約3000万人のうち3.9%ほどが戸籍上で『士族』だったとされています。薩摩藩では約4割の家が士族であったのにもかかわらず、戊辰戦争の際に朝敵とされた藩の家来は士族の族籍を剥奪されることもあったので、すべての武士が明治に入って士族になれたわけではありません。また、村で代表者を務めた家系の多くは戦国期に遡ると、戦国武将の家臣であり、どこかのタイミングで帰農して江戸時代を迎え、庄屋などを務めるようになった。ということもあります。

そういう実は武士の家系であった人々はもっと多かったはずで、それが現在の一億2000万人と約4倍まで人口が増えると、みんなが武士の子孫である。というのも間違いではないような話になってくるのです。どこかで縁がありそうですよね。

「そんな古い話なんかしたって」と思う方もいると思いますが、その通りで武士の子孫であることや源氏、平氏、藤原氏程度では現代的にはなにも意味がないのです。そのへんの侍でしかありません。

先祖について知る価値は功績や名誉にとどまらず『先祖について知れたこと』そのものにあるのだと思っています。おじいちゃんが家の歴史について語ってくれるということは、おじいちゃんもまたひいひいおじいちゃんから語り継がれていたかもしれません。過去帳が残っていること。分限帳や郷土史に名前が残っていること。それに私たちが興味をもったこと自体に価値があるのです。

私のご先祖のうちの一人が戦国武将の家臣として活躍していましたが、もし祖父母の話を聞き流していたら永遠に知りえなかったことでしょう。

現代的な価値観にフォーカスすると、ご先祖について知っている人は生きた歴史という点で先祖の地位や家系など関係なく価値があるのです。

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